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2005年11月28日
これからの人生へエールを!

ある中学生選手に話しました。
その選手は私から見ても良いものを持っているこれからの選手です。高校へ進学するのにもう続けまいかと揺らいでいるのです。
練習は厳しいものです。特に体の出来ていない中学生にとってはきついばかりが先に来るのでしょう。
現に私も中学時代は3,000mを走りきってゴールした瞬間にぶっ倒れるきつさに怖さを感じた時期もありました。 勝負がかかればラストはフルスロットルで出し切ります。出し切ったレース後は100%立っていられません。
その子達と違っていたのは、中学時代からもう高校のインターハイ出場を夢見て、 その記事が載っている雑誌などデスクにいつも置いて眺めていました。 そのころのどこまでも登っていけそうなわくわく感は今も思い出せば体中に力が湧くようです。
進学については、近くの高校でも出来たかもしれません。 その時は周りの進めもあり親も子供が望むならと本格的な競技へ打ち込むことの出来る環境を用意してくれました。 兄弟妹4人もいる中での長男で、 寮生活などものすごくお金のかかる生活になるのにです。当時はそのことを思うほど大人では無かったと思います。
夢を追いかけ目標を達成していく生活は決して楽なものではありません。どちらかといえば辛い事のほうが多いのかもしれません。
しかし、そこから体験すること感じることは人生のうちで大切なもの、糧になると思うのです。
頑張れるものがある人生は行き詰まっても次の方向が開けるものだと思います。そして周りが力を与えてもくれます。
奇麗事かもしれませんが言います。
夢を持ち、希望を抱き、情熱をそそげるものを続けてほしいと・・・
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2005年11月23日
弦を担ぐ

この携帯電話は?
実はこれは私のもの。
そう、ゴールドカラーの携帯電話。
あっ!金色のケイタイだ・・・なんてよく言われる。
奇抜で珍しいかもしれない。確かに周りに同じ色はいない。同じ機種を持つ人も必ずほかの色を選択している。
このケイタイ、今年(2005年)4月1日に近くのボーダフォンショップへ出かけて行き機種変更をしたのだ。
いつも持つもので縁起のよさそうな色があればそれを選ぶ。
いわゆる弦かつぎである。
特にスポーツ選手は自分の力を信じるは当然だが、こうした縁起を担いで精神を集中しやすくすることは多い。
あのイチロー選手も言っていた。球場の自動販売機でドリンクを買うとき、同じものが並んでいたら右を押す・・・のだそうだ。
ほかにもケースバイケースで様々だという。
何はともあれ、真剣に物事に取り組む時に不安材料があればそれを少なくする事が、スポーツ選手にとっても大事なことなのでしょうね。
ゴールドメダルにあやかってゴールドケイタイを持つテツローだった!
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2005年11月21日
こんな時だってあったさ・・・

勝負に生きる競技者にとって勝ち負けは大きなもの・・・
プロアマ関係なく、良くも悪くもそれで人生が左右することは多い。
勝つことで評価は上がる。
しかし負けることで大きな経験をし、その後以前よりもたくましく成長することもある。
それを力にして努力できたらだ。
それに賭け打ち込んできたからこそあまりの結果にへこんでしまうことも多くある。
私のことを言えば、今シーズンは今までにない成果を得たのは失敗の積み重ねから得たといってもいいのかもしれない。
改めて自分に言い聞かす。
一生懸命チャレンジして失敗したのなら、それは失敗ではなくなると思う。きっとそこから光はさしてくる!
今そんな中にいる人へ、一緒に頑張ろう!

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2005年11月18日
今日は朝日新聞 掲載

朝日新聞2005年11月18日(金)福家司記者
連日のように新聞で特集が掲載されました。取材はもっと前にあったのですが掲載はブッキング気味。
福家記者は『頑張る人を応援したい!』そんな記者です。今年は春から自分に興味を示してくださり取材回数は一番多かった記者です。 観光大使に選ばれたとき、県知事に会ってから時間がずれ込み、記者会見が2時間遅れたのに三原駅で残ってくださっていました。
目標!・・・人に魅力を感じていただける、そんな人になっていきたいものです。
そのためには、まだまだ素直に生きていかなくては・・・
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2005年11月15日
取材終了

今日、先ほど1ヶ月に及ぶ取材が終わった。
今回は毎日新聞の堀江記者が私の生き様的な記事を3週にわたって連載するもの。
このような特集や企画記事は記者としても腕の見せ所。
こちらもせっかくだから良い記事になってくれればと協力はするが、 事実をいわば普通な言葉にしてしまうだけの記事にすかされた想いをしたことも多い。
新聞だからなかなか核心には迫りにくいだろうな、半ばどんなものが出来るのかな?的なところがあった。しかし、この一ヶ月、 堀江記者の情熱に魅せられた。丁度、片道3時間かかる1泊2日の講演などもあったが2日間とも往復してやってくる。 見ているこっちが頭が下がる。
後半になればなるほど、飾ることなく本心を話し、お互いが良い記事に通じるものを生み出したように感じた。
今2回の記事が掲載され、最終回分も確認した。感銘を受けるようだった・・・自分の事なのにだ。
最終回は核心を突いたものに仕上がっている。
今まで新聞記者とここまで付き合いを深めたことは無かった。ほかの記者には話さないことも口に出した。 記者の想いが私の心をも動かさせたのだと感じた出来事だった。
堀江記者、彼はきっと素敵な記者になっていくのだろうな・・・そんな気がする。

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2005年11月12日
2005年成績

2005年、今シーズンの形!
成績をまとめた。
5月15日 石垣島トライアスロン 2位
6月5日 韓国トンヨントライアスロン 優勝
6月19日 ITUインターナショナルイベント和歌山大会 DNF
6月26日 天草国際トライアスロン 優勝
7月10日 宮城国際トライアスロン 優勝
7月17日 ひわさうみがめトライアスロン 2位(強化指定平野司選手のぞき1位)
8月14日 MCCSスプリントトライアスロン岩国大会 優勝
8月21日 ファッションタウン児島トライアスロン(中国ブロック選手権)3位(2位)
9月4日 トライアスロンさぎしま 優勝
9月25日 淡路島国際トライアスロン 2位
10月2日 福岡トライアスロンフェスタ EKIDENの部 2位
10月2日 福岡トライアスロンフェスタ スーパースプリント 4位
10月9日 世界トライアスロン選手権ホノルル大会 エイジ30~34 13位
10月23日 日本トライアスロン選手権東京港大会 31位
14レースに出場
1位=5回
2位=4回
3位=1回
表彰対象外=4回
2005JAPANランキング24位
95年から取り組んできたトライアスロンで勝率は過去最高の結果になった。
ジャパンランキング入りも果たした今シーズンは、競技者として勝負にこだわり続けることができた結果だと思う。
最終戦(日本選手権)での最後の最後でランがいつもの走りからは程遠く結果に結び付けなかった。 十分戦い抜いたシーズンではあるが最後に悔やまれた。詰めの甘さは来年への課題となる。そして、 これがまた来シーズンのモチベーションとなることだろう。
多くの方よりメールやお手紙をいただき元気をいただけた。
支えられがんばれたシーズンでした・・・感謝!
テイケイ株式会社トライアスロン競技部
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中 山 俊 行

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2005年11月11日
エムスポ 初代ミスタートライアスロン中山俊行氏のコラム紹介

初代ミスタートライアスロン!
私がトライアスロンを始めた頃ご活躍され、まさに憧れの競技者であった中山俊行氏のコラムを紹介させていただく。当時、 私がお世話になっている広島のサイクルサロントクナガへもよく立ち寄られていたそうです。
(エムスポ http://www.mspo.jp/ より)
「ヒーローは誰だ!?」 (10月27日)
10月23日に開催された日本選手権。
久しぶりに素晴らしい日本選手の戦いを見ることができた。会場に来た観戦者もトライアスロンの迫力を充分に満喫できたのではないだろうか。
こういう戦いを、いつでもできるようになれば日本選手が世界で活躍できる日も近いと感じることができる。
女子は庭田清美が優勝。「トライアスロンを楽しむ」という、原点ともいうべきスタイルでこのレースを走る。本当に速かった。
本当に強かった。世界ランキングで10位以内に位置する実力を遺憾なく発揮しての勝利だ。その「楽しむ」
という取り組み姿勢が彼女の最大の強さだ。今回、庭田の底力は、関根明子の存在によって更に引き出された。ランニングでの一騎打ち。
ラン勝負ではほとんど負けたことがない関根に先着しての優勝は、歴史に残る名勝負と言えよう。
誤解をしてほしくないが、関根が弱かったのではない。2位とはいえ、関根の恐るべき「負けず嫌いスピリット」
にも寒気がするほど迫力を感じた。決して万全の調子ではなかったはずだ。しかし「得意のランでは絶対に負けない」
というオーラを発しての走りだった。
今回、1位、2位という結果になったが、それは今回、関根の強さを庭田が上回っただけ。そういう素晴らしい戦いを演じた上での結果だ。
その差はほんの僅か。こういうレースが見たかった。トライアスロンは年齢に関係なく進化できる。それを証明してくれた。日本のミセス・
トライアスロン達がどこまで行けるのか。楽しみで仕方が無い。
そして男子。優勝は平野司。1~3位を若手が占めた。「狙って勝つ」ということは凄く大きなプレッシャーを背負っての戦いになる。
それを達成した平野には拍手を送りたい。しかし、その平野の底力を出させたのは間違いなく田山寛豪である。
1週間前にハワイのアイアンマンを戦う。そこではSWIM 1位フィニッシュという日本トライアスロン史に残るような偉業を達成し、
初出場ながら31位とまずまずの成績を収めた。結果に関しては「並」かもしれないが、その内容に関しては「極上」であるといえる。
その疲労回復もできていないうちに「優勝」を狙って日本選手権に挑んだ。誰よりもアグレッシブに。その戦い方は、
明らかに世界で戦うことを前提とした走りだった。それに引きづられるように同世代の平野、細田が意地を見せてくれた。
一般人には「レースの結果」が全ての評価の基準かもしれない。それを否定はしない。優勝することは難しい。だからこそ価値がある。しかし、
それを上回る素晴らしい戦いを演じた選手が居ることもしっかりと見つめてほしい。
ヒーローは誰だ。
今回は田山寛豪であった。しかし、この戦いが全てではない。平野、田山、細田、山本、
この若手選手達全員がヒーローとなる日がくることを願っている。
(写真):
日本を支える怪物たち
写真1:中込英夫(38歳)彼に敗れた選手は強化指定選手の資格を剥奪すべきだ!
写真2:ロングの井出晋一と並ぶ、ショート最強のビジネスアスリート「福元哲郎(33歳)」
「エリート」と名乗りたいのであれば絶対に負けてはならないトライアスロン界の門番2人だ。


このように私には毎回が心に響くコラムであり、共通したものを感じさせていただく。競技では、やはり選手が表舞台であるが、 選手を辞めても裏方として支えてくださる方がおられるからトライアスロン(スポーツ)が伸びていくのだと感じている。
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2005年11月04日
くらはしふれあいフェスティバル家庭教育講演会

広島県呉市倉橋町へ講演へ行ってきました!
昨年の秋だったと思います。倉橋小学校へ招かれゲストティーテャーとして授業をしたことがきっかけとなり、 今回のフェスティバル前日の晩に家庭教育講演会ということで話をさせていただきました。
『倉橋から世界へ』あきらめなければ夢は100%
と題して想いを話してきました。
実はここは私がトライアスロンを始めた10年以上前からトライアスロンにはゆかりのある地なのです。
ワールドトライアスロンインひろしまを経て、瀬戸内マリンブルー大会、最後に日本選手権を誘致し、 その後トライアスロンが中止となったのですが、 6年前からアクアスロンくらはしというアクアスロン大会が毎年7月2週目に開催されている地なのです。
地元の森本先生というお医者様(トライアスリート) がこの灯を絶やしてはいけないと地元を説得し企画運営すべてにご尽力され開催にこぎつけているのです。
今回も何から何まで森本先生ご夫婦さまにお世話になりました。
この倉橋へこんな形で呼んで頂けるとは当時は思いもしなかったでしょう。
本当に幸せを感じる講演会となりました。
『 感 謝 』

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2005年11月03日
涙は流さないで・・・

今週の土曜日(2005年11月5日)は広島県高校駅伝です。
そう、都大路(京都)の広島県予選です。
自分も人生を賭けるほどに目指して頑張った高校生時代がありました。
今の高校ランナーは、まさにその瞬間を今週迎えるのです。
どこの高校もそれぞれの想いを持って戦い抜くでしょう。
その週の火曜日に母校へ行ってトレーニングしてきました。
ふと、走っているはずの女子選手(3年生)がラップを読んでいる事に気づきました。
一通り終わっても後から来た1年生のタイムも読み上げていました。
練習後その選手にたずねました・・・
校内の最終選考会でヘルニアが悪化し先日まで入院していたというのです。
ご存知の方はお分かりでしょう、この時期のそれは3年生の彼女にとっては致命的な出来事です。
聴いた私が胸がつまる想いでした。
『でも私、あきらめてないんです。チームが全国大会へいけたらいいし、2月の中国女子駅伝を最後に走りたいんです。』
そう答える目には涙があふれていました。
『そうだね・・・あきらめるな!』
無責任かもしれませんがそれしか言えませんでした。
3年生が違う形でチームを支えている姿を見せ付けられました。
心の持ち方でこの出来事が将来の財産になるはずです。
『ガンバレ、負けるなっ!』
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2005年11月01日
2005 JAPAN ランキング1

2005ひわさ大会(徳島県)のゴール後のシーンである。
彼の名は細田雄一。
私と丁度ひとまわり違うねずみ年生まれの、プロトライアスリートである。
彼を知る者はお分かりだろうが、とてもやわらかく愛嬌もあるナイスガイである。
若くしてオーストラリアでトライアスロン競技生活に人生をささげている。
彼と出会ったのは2003年のニュージーランドで開催された世界選手権の時のチームであった。英語は当然ぺらぺらであり、 国際派の彼は一味違うことを感じさせていた。そんな細田雄一との出来事をつづらせてもらう。
昨年度のJAPANランキング1位の平野司と6位の細田雄一が顔を並べた大会であった。
開会式からそのどちらが先にゴールするのかに的が絞られる。当然である・・・私は昨年までランキング入りさえしていない選手だ。
しかし、スポーツは強いものが勝つのではなく、その時勝ったものが強いのだ。
彼を交わしての2位。私にとっては大金星、彼にとってはしてやられたかもしれない出来事だったと思う。 レース後にたまたま勝てただけだとフォローしたが、プロとしては悔しいに決まっているだろう。スポーツの世界で情けは無用かもしれない。 このことで彼の気持ちが落ちてしまったり、調子を崩してしまわないかと心配もした。
しかし、彼はここから変わった。
後半戦ポイントを重ね見事に自身初の2005年JAPANランキング1位となった。
よくやった!
10月23日の日本選手権後に彼の顔を見たとたん心からうれしく思えた。
これから彼らが時代を切り開いていく。
その手助けが体を張って出来たのだと思わせてもらう。
どんな状況でもあきらめてはならない事を改めて痛感させてくれた2005夏の出来事だった。
今の自分にできる事は、言葉よりもこの体で見せてやる事!それが一番想いが伝わると信じている。

北京のスタートラインには細田雄一、彼がいる気がする・・・
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