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2005年10月24日
2005日本選手権フォトギャラリー

年間総合グランプリ受賞!【エイジ部門】

日本選手権は1人づつ選手紹介がありスタートポジションへ付く

速人も緊張の一瞬を見守った!









レースデェレクターの白戸太朗氏(太朗氏のマルチな活動はあこがれます!私はファッションリーダーと呼びます)

オリンピアン(シドニー&アテネ)の西内選手と関根選手(実は関根選手は妻と高校、実業団時代からの友人です)

ジャパンランキング1位になったトライアスロン界のアイちゃん(上田藍選手)!
北京を目指して頑張ります!

ご存知 細田雄一くん2005ジャパンカップ獲得、そのまま北京を目指します!

日本チャンピオン きよみん(庭田さん)
自信が無いと前日は口にしてたのに、さすがトライアスロンを知っています。
誰もが認める真の日本チャンピオンです。

駆けつけてくれた後輩たちです。

中山俊行氏(プロトライアスリート第1号ミスタートライアスロン)は一般選手の頑張りに本心で敬意を示してくれます。 わざわざ会いに来て下さいました。

広島選手団!今回の経験はきっと今後のエネルギー・ターニングポイントとなるでしょう。
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2005年10月23日
第11回日本トライアスロン選手権 東京港大会

今シーズン最終戦の日本選手権となりました!
5月の石垣島大会から始まり14レース目。
締めくくりで大一番となるこの大会は、中国ブロックから男子3名、女子2名しか出場できないプロ・ アマの境の無いまさに日本一を決定する権威ある大会でもある。
予選を勝ち抜き選ばれし戦士たちは、 前日のホテル日光のブリーフィング会場でコースディレクター白戸太朗氏からねぎらいを受け23日当日を向かえた。
今回の大会へ臨むにあたって世界選手権を終えたあたりから帰国後の寒暖の差も影響してか身体反応が悪くモチベーションが上がらずその後のトレーニングの疲労を抱えたまま迎えてしまった。
ウエットスーツを着れない条件なら棄権を考えたほど体調の悪さを感じていた。
しかし、今回は全国各地から通知があっただけでも今までに無く自分の応援者が会場に駆けつけてくれる。 妻も自分の状態を察して心配するが、ここでの勇姿を見てもらいたい思いだけが心を支えた。
それでも当日は開き直るものである。若い選手の手本とならなければ・・・できるところまでやってみる。
水温19.5度。(20度以上はウエットスーツ着用禁止)
天候晴れ。絶好のトライアスロン日和である。
今回、ワールドポイント獲得上位順からジャパンランキング順にレースナンバーが付けられた。
『21』今までここでこんなに若いナンバーカードをつけたことは無かった。
33歳になって、今までの自分を超えて来れたことに喜びを感じるひとつだった。

スタート前に尊敬する八尾師匠の元へ行きパワーを入れていただいた。 八尾氏のそばにいくだけで明るくなれ何らかのきっかけをいただける。
21番目にスタートポジションを決めれるため、選手紹介後、左側から2番目の最前列を取った。
『ON YOUR MARK!』
数秒後のエアホーンとともに飛び出した。

最高レベルの大会だけあり同じような力差の中、スイムでのぶつかり合いはいつまでも続く。流れに乗り21分08秒でスイムアップ。 (リザルトで確認51番目)
選ばれた選手80名の中で51番目。数秒の中に何人も重なる状態の中では、わるそうで意外に先を見据えることの出来る位置でもあった。
今シーズンのバイクパフォーマンスから、パック形成からその中でのドラフティングレース(集団走行及び人の後ろへぴったり付く走行@ 私が戦う普段のレースは禁止の走行技術)は余裕を持ってこなすことが出来ていた。
分かってはいたがこのあたりのパックはまとまりにくく、レース中止(先頭が追いつくと判断されたら失格) を免れるには力のある選手が引っ張っていくほかなかった。
その状態で15人前後のパックを形成し進行した。


ランへ移行するトランジットは計算どおりそのパックの先頭で入った。自分は出場選手中、誰もしないソックス(靴下) を掃いてランへ入るため10数秒は捨ててしまう。
ランコースへ出るとその集団は1列に先を走っていた。少しずつしか上げることが出来なかった。 体調の悪さをごまかす事の出来ないランは明らかにキレの無い、過去最低のランであった。

しかし、コース上は名前で応援してくれる方々が今までに無く多かった。
本当にうれしくありがたかった。・・・しかし、その分悔しかった。
自分の持ち味は不可能と思われる距離(時間)を大逆転する展開をやってのけること!
それを表現出来ないランは寂しかった。
出場選手中必ず一ケタ台を置いていたランは今回24位。総合31位。

ここに来るといつも感じさせてくれる。
『まだまだいける!みんながびっくりして喜んでくれる顔を見ることが可能な限り、この大会は出場し続けたいと・・・』
いろいろあったが今シーズンはこれでおしまい。
また人生の中で想い出が出来たシーズンであった。

結果
総合31位 1時間56分52秒
スイム=21分08秒(51位)
バイク=58分44秒(32位)
ラン=37分00秒(24位)
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2005年10月19日
駅伝戦士

世界選手権前に世羅高校へ行ってきました!
第二の故郷とも言うべき世羅台地。
世羅高校陸上部関係者はご存知のコース、ここには起伏に富むけもの道の山コースがあります。
私は今でもこのコースを大会前後の来れるときには利用します。
起伏に富み不安定な路面に自然の英気を吸収しながら走る。走りの筋力とバランス調整になるコースです。
このコースには伝説があります。それをクリアした数々の選手を輩出したコースでもあります。(内容はまたの機会にします)
フリートレーニング(各自練習)のこの日は、たまたま1往復した後一緒になった二人の戦士達(写真) と同行し動きを観察させてもらいました。
足の下ろし方と接地のタイミングはちょっと日本人には難しいな~と感じさせられましたが、 どこかに走りのしなやかさと柔らかさのヒントがあると研究させてもらいました。
この二人、日本語もきちんと話せますが二人だけの時は母国語で会話をします。
『#@*¥~$★Э!』・・・(汗)
何を言ってるのかぜんぜん分かりません・・・
国際色豊かな世羅高校になったものです。
賛否両論あるようですが、目指すものは一緒の心を持つ戦士達です。
夢をつかんで大きく羽ばたいてほしいものです。
応援してくださいね!
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2005年10月15日
三原市初の観光大使

10月より三原市初の観光大使に任命されました!
スポーツを通して人生を送っていますが、文化面でも活躍できることに光栄に思います。
よろしくどうぞ!
海・山・空の三原市になりました!
近代的な市ではないけれど、とても落ち着きのある素晴らしい街【三原市】です。
ぜひ、おいでませ!
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2005年10月13日
2005世界トライアスロン選手権(ハワイホノルル大会)フォトギャラリー

ハワイの空は青かった!


レースでは着ることができなかったオフィシャルユニフォーム

時差ぼけ解消にビーチへ

2003ニュージーランドクイーンズタウン大会も一緒だった平松選手。

オーストラリアチームはメカニックやスポーツドクター・トレーナーなども同伴のプロ選手並の体制だった。

ハンディーキャップを持っていても心はひとつ、勝負士の姿。

両足がなくてもトライアスロンが出来るんだ!

同じ選手として同じフィールドで戦えたことに感激しました!

皆様にもぜひ生で観戦して頂きたい!

この勇姿は素晴らしかった!

さ~スタート!


いろんなことがありましたが、今の力は出しきったのでは・・・

日本選手団!

さぎしま大会へきていたニュージーランド選手のカイル・ブリッジマン選手と会いました!
これからプロの選手として成長していくのでしょう。






トライアスロン界ではご存知プロカメラマン高崎氏(中央)
今回もみんなの姿を追ってくれました!
写真も何枚がご提供いただいています。
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ワールドチャンピオンシップ(世界トライアスロン選手権ホノルル大会)

期日:2005年10月9日(日)
場所:アメリカ合衆国 ハワイ州 ホノルル ワイキキビーチ発着コース
今シーズンの目標に掲げていた世界トライアスロン選手権。
内定組みに対して自分が出場するためには、ジャパンカップシリーズ(国際部門)でのポイント獲得でアピールするほかなかった。
6月の天草国際(熊本県本渡市)、7月の宮城国際(宮城県七ヶ浜町)およびひわさ大会(徳島県日和佐町) で各最高ポイントを獲得し理事会の承認を得た。
このたびはアジア初の日本(愛知県蒲郡市)で開催されたエリート及びジュニア、アンダー23の大会に対し、エイジグループ(一般) はハワイと分散しての開催となった。
ハワイで開催となると必然的にレベルは上がること、フラットコースで絶好の気候となれば体の大きな選手が有利であり、 前回のニュージーランド(クイーンズタウン)大会よりも下回るであろうと予想されていた。(結果表彰台アメリカ勢が独占状態)
しかし勝負事はふたを開けなければ分からない。
海外のレースを体験すると、如何に日本の大会のキチリとしたスケージュールや体制なのかがわかる。
今回エイジグループ選手権で当然ウエットスーツ着用だと思って日本選手団は会場入りしていた。
それが前日になりウエットスーツの着用は禁止と知る。
オフィシャルウエアは陸に上がって楽なようにサイズを大きめにして支給していただいていたためスイムではぶかぶかで使えない状態。
あわてた・・・ 会場のブースでウエアを購入し国名が入り上下をそろえればオッケーとなるルールに従い前日の晩にABCストアでマニュキュアを購入し自主作成。
ウエアは赤になったがホワイトでエナメル質の文字にチームメイトがびっくりするほどのできばえ。(いつも美術、 芸術は最高単位をとっていた腕が光る)
戦うにはこれでいくしかなかった。
今回初めて日付変更線を超えたレースとなった。
前日に寝れるだけ寝て12時間。 すっかり疲れも取れた状態でレース前夜のその晩は結局一睡も出来ず寝転んで5時間以上を音楽を聴いて過ごし午前4時前に準備に入り会場入り。
7時05分のスタートを迎えたのである。
スイムはターミネーターのような体格の選手に当たり負けするわ、両手で海底に沈められるわ、足は引っ張られるわの『おーい反則だろ~』 といった状態。それをかいくぐる泳力のなさが裏目に出た。こうしたことはあることが予測されていたのでそんなに気持ちのダメージはなかった。 スイムアップは43位。(後で知ってあまりの遅さにびっくりした・・・)

バイクは外国人選手のイケイケどんどん走行に付いていくが、ドラフティングを気にするあまり集団からもれた。それでも62分台 (23位)でまとめランへ。
ホノルル市内のメイン通りを折り返す2ラップのコース。バイクで行かれたお返しに、 今度はこちらがイケイケどんどん走法で追い上げを開始。今ひとつキレは無かったが今の自分の限りで押していった。ランラップは4位。

ゴール速報は自分のカテゴリーで11位。2時間02分31秒。(帰国後の発表では13位・・・さすが海外の大会)
前回を上回る大躍進。ゴールできたことを素直に喜び、今後の取り組みもはっきりした。
素晴らしい体験と世界を肌で感じ取れた。
まだまだ行ける。
トップテン入り。簡単にはいかないだろう。
スイムを伸ばし、バイク・ランをさらに磨く。水陸両用の身体を造る難しさは十分知っている。 しかしそれが出来なければ世界では通用しない。
今回、特筆しておかなければならないのがハンディーキャップカテゴリーである。
新鮮にびっくりさせられ感激した。その姿に勇気をいただいた。
テレビなどで見たことはあるが、一緒のフィールドで肩を並べゴールへ向かう鼓動を感じたとき涙が出るほどに感動をいただいた。
人は本気で情熱を傾ける時、何でも出来るようになるんだと・・・


表彰台に上る自分の姿を描ける努力をしていきたい!

記録 2時間02分31秒(13位)
スイム:23分38秒(43位)バイク:1時間02分12秒(23位)ラン:34分31秒(4位)
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2005年10月05日
素晴らしき体験へ行ってきます!

地元の放送局で想いを話させていただきました!
予定をすべてこなしいよいよ世界へ。
すごい体験!
素晴らしい体験!
きっとよい顔をして帰ってこれると思います。
身近な三原市の子ども達に想いが伝わったかな?
1人でも自分の活動が心に響いてくれることを願いつつ旅立ちます。
また、こんな私に多くのご厚志・真心をいただきました。
私は皆様のおかげで幸せな競技生活を送れてます。
皆様が笑顔で元気になれるような活動を続けていけたらと思います。

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2005年10月02日
福岡トライアスロンフェスタ2005

恒例のチーム戦で盛り上がるトライアスロンフェスタへ行ってきた。

この大会はジュニアカテゴリーからメインイベントのチーム戦であるEKIDEN部門 (S700m B21.5km R5km)、そしてスーパースプリント (S350m B8Km R3km)部門などトライアスロン一色の一日となる。
昨年はEKIDEN部門、 個人スーパースプリントの2冠を達成し福岡放送の番組では一番とらえられていると関係者からビデオもいただくほどだった。
今年のわがチーム福元は3人ともが次の目標へ向かって動いているため昨年のようには行かないと予想された。


20代の若い二人に毎年、シーズン中の安定感を求めるのは酷か・・・第三出走の自分のところへ来た時にはすでに8分の差。
ショートタイプのトライアスロンでは絶望的な数字であった。
しかし追うしかない。
世界選手権の調整と臨んだこの遠征であった。しかし、若い選手への手本となるには言葉ではなく行動で示す事を信念とする自分には、 不可能を可能に近づけ希望が生まれるレースを行うのみであった。
必死で追った。今出来る限りで追った。

バイク終了時で4分差。ランの中間点で2分50秒。・・・いっぱいだった。
結局ゴールでの差は1分50秒あまり。
猛追撃に会場は沸いたが勝負としては惨敗であった。


1時間半後にスタートするスーパースプリントへの力は残っていなかった。
しかし、ナンバーカード1で昨年のチャンピオンらしく堂々と戦いたい気持ちが体を支える。
スイムは出遅れバイクもパック(集団)に乗り遅れた。


ドラフティング(集団走行で風の抵抗を軽減する走法)の経験の少ない選手と息が合わず差は開く一方。
ランに入って得意のトラックスプリント走法は影を潜めた。
今シーズンゴールしたレースで初の表彰台から外れる4位であった。

力を合わせて勝ちにいくレースの醍醐味を知る自分達にとっては完全な負け試合。
来年は勝とうと誓った広島三人勢(チーム福元)であった。
さ~次は世界トライアスロン選手権!ハワイホノルルで思いっきり暴れてこようか!

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