2005年08月27日
運がなかったと思った高校時代でしたが・・・

今から18年も前になるのですね。
駅伝の名門と言われていた世羅高校へ入学しました。
まさに走るためです。

中学時代に全日本中学陸上(3000m)に出場し広島県ではトップクラスの鳴り物入り。
しかしこれが自分にとっては良い方向へいきませんでした。
先輩からは独特の圧力がかかり免疫の無かった私は萎縮しました。
陸上どころではありませんでした。
同級生達だけの学校の教室だけが逃げ場だった気がします。
寮を出て家から通いたいと両親にも打ち明けたこともありました。
両親もあの頃はつらかったといいます。
自分の子供がそんなことを言い出した時、果たして自分はどんな方法をとるのだろうか。
しかし人は生きるために考えも変わり知恵を生み工夫もしだします。
仲間達で辛いことも笑い話にしたり、悪いことですが先輩の悪口を言ってうっぷんを晴らしたり・ ・・
2年生になりようやく陸上へ打ち込めるようになった気がします。
わき目も振らず打ち込みました。冬の駅伝メンバーになるため、 そして3年生でインターハイへ行くために。
2年生の冬は中国高校駅伝では区間賞。
普通なら全国駅伝のメンバー当確ですが、名門校ならではの選考会があり、 先輩に1秒差で負け補欠。
結局それが都大路(全国高校駅伝)の舞台へ立った最後の姿でした。 (3年生では世界陸上マラソンで活躍した尾方選手率いる熊野高校に破れ予選敗退)
3年生になり実力はつけました。 現在中国電力のキャプテンで活躍する同級生の内冨選手とともに広島県大会での3000m障害走は2位で二人ともが大会新記録。

そのままインターハイと行きたかったのですが・・・中国大会でラスト50mで交わされ7位。 (6位までがインターハイ)
中学からインターハイへ夢をはせ努力してきたことが無になった瞬間。
その頃の私には自分の心を立て直すことができませんでした。
当時お世話になった方へ本当に申し訳ない日々でした。
正直に言えば、人生で青春真っ只中、できれば体験したくなかったことです。 (インターハイの決勝のスタートラインに立つ姿が時々夢に出ていました)
しかしこの経験が、結局は今までどこかで生かされていることは過言ではないでしょう。
一生懸命生きていると、絶対といっていいほどぶち当たるものがあるといいます。
それを乗り超えて大きくなるチャンスを神様が与えてくれているのでしょう。 宗教じみているかもしれませんが私はそう思って生きています。
運が遠ざかったように思えた高校時代ですが、 とらえ方によっては人生の上で素晴らしい経験をした時期でもあったように思います。
その時は失敗や挫折でも、きっとその後に成功と成長があります。
生きている限り生き抜きたい!

投稿者 テツロー
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